道竅談 李涵虚(177)第二十一章 再び玄関について(解説2)

 道竅談 李涵虚(177)第二十一章 再び玄関について(解説2)

最後に「玄関は心ではない。腎でもない」「私の言っている玄関は黄庭、気穴、丹田でない」とするが、何かを説明しようとすれば言葉を使って限定的な表現をしないわけにはいかない。そこに誤解が生まれることになる。新たな心身の境地の開かれることを「霊光」を見るなどと言うと「霊光」という言葉のみが独り歩きをして、幻影を見なければならないような誤解が生じてしまう。そうであるからどうしても「ただ入門の儀式を済ませた者のみに教えを述べた」ということになってしまうのである。

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