道竅談 李涵虚(189)第二十三章 玄牝基根(本文 上)

 道竅談 李涵虚(189)第二十三章 玄牝基根(本文 上)

修行者は大丹、小丹にかかわらず、等しく谷神を静養して、その根本を立てなければならない。「谷神」とは「先天虚霊」のことである。人の「元性」のことである。養うというのはどこにおいて養うのであろうか。それは玄牝においてである。上陽は「玄牝とは二つのものであり、また二つではない」と述べている。それはまた万物でもあるということである。要するに「玄天」「牝地」のことなのである。またこれは易の第一の卦(乾卦)として現れるものでもある。「玄牝の一竅」を知っておかなければならない。実にこれは「生生化化」の源でもあり、道の修行に入る者は、この「生化」の源を必ず尋ねなければならない。これがつまりは「玄牝の竅」なのである。あるいは老子の言うことを引いて述べるならば、「谷神は死なない。これを玄牝という」ということになろう。ここで「谷神」を「玄牝」とするとはどういったことなのであろうか。それは「虚無の玄牝を借りて、虚無の谷神を養う」ということである。つまり「谷神」の名をして「玄牝」とするわけである。ただ、これらの名の意味にはまた説がある。『金丹四百字』には「この竅はただの竅ではない。乾坤が共に存しているのであり、神気穴と称する。内には坎離の精がある」とする。つまり玄牝はただ神を養うだけではなく、気をも養うのである。今ここで神と気が交わると玄牝が現れることになる。そうであるから凝神、聚気して二つの物が交わりひとつになる。つまりよくひとつになって乾坤の圏子をなすのである。この中には転倒の用がある。何か。上より下の「凝」を得るのは神である。その玄天の尊体をして牝地の卑躬(キュウ)を行うのである。つまり上下が泰(やす)らかに交わり、気神は和合する。『道徳経(老子)』に「天下の交わり。天下の牝」とあるのは、おそらくはこの竅のことであろう。そうであるから「天の下の交わり」としているのである。その中には柔の道がある。そうであるから「天下の牝」と言っているのである。ここにはまた玄道が存している。ために「玄牝」という。

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