道竅談 李涵虚(228)第二十五章 薬物について(解説4)

 道竅談 李涵虚(228)第二十五章 薬物について(解説4)

種は『我』の家の胚胎宮の中にある」とは心(離卦 陽陰陽)の一陰こそが丹を得るための「種」であるということであり、それは心の中の胚胎宮というところにあるとする。「胚胎」とは「身ごもる」という意味である。そうであるから、この一陰はまさに丹を得るための「種」であるとされているわけである。もちろん直接の「種」は一陽なのであるが、これを開くのは心の一陰であると教えている。心が鎮まることで、腎も活性化されるわけである。心は鎮めようとしても鎮まるものではない。ただ静かに坐っていれば心は自ずから鎮まる。老子も濁った水を浄化しようとするのであれば、何もしないことであると教えている。そうすると汚れは沈殿して水はきれいになるとする(濁れれるは静をもってこれをおもむろに清〈す〉ません。十五章)。これは神仙道で濁気は下降し、清気は上昇するとあるのと同じである。

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