道竅談 李涵虚(233)第二十六章 鉛と汞について(解説2)

 道竅談 李涵虚(233)第二十六章 鉛と汞について(解説2)

「心」の神の「汞性」とは心(陽陰陽)の一陰のことである。これは一般的には腎=下丹田である紫府に戻るのであるが、ここではこれが黄庭(中丹田)に納まるとする。そして下丹田には「心」の精である「汞液」が入るというのである。こうした複雑な説明になるのは鉛と汞の二つを上、中、下の丹田に振り分けるために他ならない。ただ、この説明が意味のないものではなく、心の「汞性」が中丹田に収まるとは感情と関係のある気が鎮まるということを意味している。それはまた下丹田=腎が鎮まるということでもある。腎が過度に働くことで性欲をはじめとするいろいろな欲望が発生する。これは感情を動かして心身の平静を失わせてしまう。

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