道竅談 李涵虚(234)第二十六章 鉛と汞について(解説3)
道竅談 李涵虚(234)第二十六章 鉛と汞について(解説3)
欲望や感情は無理にこれを抑え込もうとするのも良くない。またあえてそうしたものを出すことで、欲望や感情を出し切れば自ずから納まるとする人も居るが、なかなかそうはならないもので、かえって肥大化してしまうことがある。仏教でも古くは瞑想は静かなところで行うべきとされていた。しかし大乗仏教あたりになると「空」を体得するのであるから騒がしいところでも、静かなところでも関係がない、とされるようになり、更にタントラあたりでは墓場や性的なものと関係するような瞑想に適さないところで修することでより「空」を悟りやすくなるとするような傾向も生まれたが、結局は成功することがなかった。欲望や感情は「寡」で対するのが最も良いようである。あまり過度にならないでとらわないことである。
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