道竅談 李涵虚(235)第二十六章 鉛と汞について(解説4)

 道竅談 李涵虚(235)第二十六章 鉛と汞について(解説4)

「身」については気(鉛精)と精(鉛華)があるとする。鉛精は坎宮(腎)に見られるとされるが、これは腎(陰陽陰)の一陽のことである。そうであるからこれを兌宮(陽陽陰)に取るとしている。これは兌宮から乾宮(陽陽陽)へと向かうことを示すものである。つまり、ここでの鉛汞論は小周天を説明したものということになる。このように中国の神秘学は八卦と五行、そして十干や十二支などを組み合わせて説明しようとして、複雑な説明を展開する。こうした理論構築にはたいして意味はない。西派では心の「精」、身の「精」を設けることで「精」が重要であることを教えようとしている。

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