道竅談 李涵虚(236)第二十六章 鉛と汞について(解説5)

 道竅談 李涵虚(236)第二十六章 鉛と汞について(解説5)

「後天の半斤の子」と「先天の八両の母」は子と母の関係にあるとする。つまり先天が「母」であり、後天が「子」とするのであり、先天から後天が生ずることをいっている。「半斤」と「八両」は共に300グラムくらいで等しく「半分」であることを示している。つまり先天、後天がひとつになって円満なるものとなるということである。先天を霊的な世界、後天を物的な世界とする誤解もあるが、霊的とされる世界は後天の「神」の迷いの世界に他ならない。後天は「神」に代表される思考と、「気」に代表される感情、そして「精」で表される物質の世界で成り立っている。これに対して先天は「道」の世界で後天を支配している「法則」がそれである。この世は合理的な法則によって成り立っているのであるから「祈り」は迷いであるとする。人はただあるがままに居れば良いのであり、殊更に自己の誤れる欲望を満足させようとすることは人としてのあるべき姿ではない。

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