道竅談 李涵虚(237)第二十六章 鉛と汞について(解説6)

 道竅談 李涵虚(237)第二十六章 鉛と汞について(解説6)

ここでは「心」も「身」も共に「精」に関係していることが示されている。それは静坐が体のエネルギーである「精」をベースとして行われるものであるためである。静坐で求められるのはただ「動かないでいる」ことのみで、じっと坐っていることだけが求められる。しかし、なかなか初めは静かに坐り続けることは難しいので、短い時間だけ坐って、心身が安定したら次第に時間を延ばして行くようにする。

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