道竅談 李涵虚(242)第二十七章 鼎器の奥義(解説4)

道竅談 李涵虚(242)第二十七章 鼎器の奥義(解説4)

禅でよく知られている十牛図は本来は静坐の奥義を示しているのであり、第四までが「静」を得て一陽の開くことを教えたものであった。第五の「牧牛」からは離の一陰の動きが示される。第六は「騎牛帰家」で坎の一陽は本来あるべきところである離(心)へと帰ることになる。第七は「忘牛存人」で坎(腎)の一陽は離(陽陰陽)の中に入って乾(陽陽陽)となるのでその存在が分からなくなる。純陽であるからどの陽が坎から来たか分からないわけである。第八の「人牛共忘」は牛(一陽)も人(一陰)も共に忘れられる。「人」の一陰は離の一陰でこれが坎に入ると坤(陰陰陰)となるのでどの陰が離から来たものか分からなくなる。

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