道竅談 李涵虚(217)第二十五章 薬物について(本文上)

 道竅談 李涵虚(217)第二十五章 薬物について(本文上)

「薬物」とは何か。上陽は「薬物というのは薬という物を使っていたからである」と述べている。薬物には小薬と大薬がある。道には先天と後天がある。後天とはつまり小薬のことであり、これは結丹に用いられる。先天は大薬であり、これは還丹に用いられる。後天の薬は無形、無質のものであるが存在はしている「有」のものなのである。先天は有体、有用のものであるが存在はしていない「無」のものとされる。

後天は「真鉛」で「癸(みずのと)を棄てて壬(みずのえ)を取る」ものであり、「陰の中に陽を蔵する」ものであって、「無をもって有を生じさせる」ものなのである。『悟真篇』には「三元、八卦はどうして壬を離れることがあろうか」とある。「三元」とは精、気、神である。「壬」とは天一の生ずるところである。「子」の先にあり、一陽の元でもある。およそ「壬」「癸」は共に「坎」「北」に存している。「水」であり「陰」に属している。「壬水」はつまり陰の中の陽であり、「癸水」は陰の中の陰である。また「壬」「癸」は「干」であり、「亥」「子」は「支」である。「真鉛」を求めようとするのであれば、必ず「天干」をして基準としなければならない。「地支」をしてこれに次がしめなければならない。それは「天」は「地」に先んじて存しているからである。

つまりこれは「壬」が最初であることをいうものに過ぎない。無思、無慮の始めであり、動は静に先んじている。「子」はつまりは有知、有覚の時であり、静から動に向かう時である。癸陰は用いることが無く、亥未は陰を脱する。これらはまた用いられることのないものでもある。小薬の法を求めるのはこの時である。しかし先天とはそういったものではない。薬が産まれるのは坤であり、種は乾に存している。これは「有」をもって「無」を生ずるということである。「我」をもって「彼」を求めるのである。つまり乾金は坤に入るのであり、これを「坤中の金」という。そうなると「坤(陰陰陰)」が(一陽の金を受けて)「坎(陰陽陰)」となる。これを「水中の金」という。

 

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