道竅談 李涵虚(245)第二十八章 乾坤と坎離(本文)

 道竅談 李涵虚(245)第二十八章 乾坤と坎離(本文)

先天は乾坤で、後天は坎離とされるが、先天の乾坤には坎離が含まれ、後天の坎離には乾坤が含まれている。それはどういうことであろうか。先天が乾坤であるというのは、童真の元陽が破れていない状態(が先天)であり、その(子供の体の)内には乾象があるために陽は破れることがない。また(体の)外は坤象があるので陰が安定することになる。こうした状態を「先天の乾坤」と称する。後天とは坎離であるが、(成人の体の)中の元陽は既に失われている。坤は乾陽を包んでいるので、ここに坎が成る。また乾が坤を包むと離となる。そうであるからこれを「後天の坎離」と称する。「先天の乾坤には坎離が含まれ」とは乾坤をして鼎器とすることであり、坎離を薬物とするということである。「後天の坎離には乾坤が含まれている」とは坎離を妙用として、乾坤の本体へと還すことをいっている。

更に知るべきは、「後天煉己の物」である。これをまた「先天坎離」と称する。これは坎を取って離に入れて、玉液還丹をなすことである。「先天還元の物」は、また「先天坎離」と称する。これは坎を取って離を化して、金液還丹をなすことである。先天、後天において坎(の一陽)を取るとは、すべからく(この一陽を)「先天」と称するのであり、特に「他家(坎)」が「我家(離)」に来るものとする。ここには(後天を使うか、先天を使うかといった)「種(つまりベースとなるもの)」の違いがあるだけである。私が思うに、先天の乾坤はつまりは「天元の薬物」なのである。また後天の坎離とはつまり「人元の薬物」である。もし童子が師に出会って、この秘訣を授けられたなら、坐して(天元の薬物である)乾坤を守って道を成すべきであろう。しかし後天に落ちてしまっているなら、乾坤が鼎器とされ(人元の薬物である坎離が使われ)ることとなる。

 

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