道竅談 李涵虚(220)第二十五章 薬物について(解説3)

 道竅談 李涵虚(220)第二十五章 薬物について(解説3)

後天の「真鉛」については「癸(みずのと)を棄てて壬(みずのえ)を取る」ものとしている。これは腎・坎(陰陽陰)の二陰を癸として、一陽を壬とする考え方である。そしてこの一陽が真鉛ということになる。そのことはまた「陰の中に陽を蔵する」といわれることもある。「天一」とは「真陽」のことで「真鉛」と同じである。これは腎を安定させることを教えているが腎を安定させるには「上虚下実」でなければならない。坐禅では法界定印を用いて親指の先を軽く触れ合わせるが、神仙道では両手を重ねるだけである。これは「上虚下実」を得て腎を安定させるために他ならない。「上虚」は「下実」によってこそ得られる。そのためには結跏趺坐(神仙道では双盤座)か半跏趺坐(単盤座)で「下実」を作り、手などにストレスをかけないようにして「上虚」を得る。ちなみに禅でも白隠流といわれる座法では手を重ねるだけである。

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