道竅談 李涵虚(246)第二十八章 乾坤と坎離(解説1)
道竅談 李涵虚(246)第二十八章 乾坤と坎離(解説1)
静坐において修行は新たに何かを身につけることではなく、失われたあるべき状態を回復することであるとする。それを「先天」と称し、子供の頃にはそうした状態が傷つけられることなく保たれていると考える。誰もが持っていた状態であるから、それを回復することはできないことではない。老子が「道」の象徴として「嬰児」をよくあげているのは、先天が保持されているためである。また先天と後天の違いについては「坤は乾陽を包んでいるので、ここに坎が成る。また乾が坤を包むと離となる」としている。坤(陰陰陰)が乾(陽陽陽)を包むと「陰陽陰」となるので坎となる。反対に乾が坤を包むと「陽陰陽」で離となるとしているが、これは後天は陰陽を互いに有している「陰陽互蔵」の世界であることを教えている。つまり先天と後天では本質的は違いはないが、交わりがあるかないかの働きにおいて異なっているわけなのである。
コメント
コメントを投稿