道竅談 李涵虚(258)第二十九章 「採」と「煉」の妙用(解説6)
道竅談 李涵虚(258)第二十九章 「採」と「煉」の妙用(解説6)
最後に「凝神」により「採」が可能となり、「調息」によって「煉」が可能となるとある。「凝神」とは自然に意識が乱れなくなる状態である。「調息」は自然に静かで途切れの無い呼吸となることである。こうした状態を続けていると心身の変容が生じる。それを「丹」を得たと称する。瞑想にしても、いろいろな教えなどでも、その多くは必要のないことである。必要のないことが多く混入するのは、そうしたものを求める人が居るからで、真実のみを語って余りに単純な教えは人々から忘れられてしまう。そして多くの余計なものを含んだ教えが後に継承されて行くことになるので、本質を知ろうとする時には注意をして吟味しなければならない。
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