道竅談 李涵虚(264)第三十章 河車の奥義(解説4)

 道竅談 李涵虚(264)第三十章 河車の奥義(解説4)

「神」は「意」を動かしているエネルギーのようなものとされる。静坐では「意」を制御することはできないと考える。「雑念を払おう」と考えるのも「意」であるからである。「意」をして「意」を制御することはできない。「意」の動きは「神」に影響を与える。神と気、精は関連しているので、「神」が乱れることで感情(気)が乱れ、体(精)に良くない影響が出るとする。心身を安定させようとするのであれば「意」をそのままにしておくことである。そうすると「意」は自ずから鎮まる。何かに集中したりするのは「意」は固定されるだけで鎮まってはいない。無理に雑念を払おうとすると禅病などと称される心身症になることがある。それは神と気、精の不調による。

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