道竅談 李涵虚(269)第三十一章 真心を論ずる(解説2)

 道竅談 李涵虚(269)第三十一章 真心を論ずる(解説2)

『クリシュナムルティの瞑想録』は瞑想をして幻影を見たとか、チャクラが開いた、クンダリーニが昇ったなどのことは一切、書いていない。ただ周りの情景が美しく描写されているだけである。「これでどうして瞑想なのか」と思う人もあるであろうが、ここでクリシュナムルティが言わんとしているのは瞑想とは真心の発現に他ならないのであり、足の組み方や幻影を見ることなどは「瞑想」ではなく、それに入るための段階である瞑想「法」に過ぎないということである。つまり真心が開くことこそが瞑想であり、チャクラや小周天などは瞑想「法」であり、それにとらわれ過ぎると本来の真心が見失われることにもなりかねないことになる。

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