道竅談 李涵虚(253)第二十九章 「採」と「煉」の妙用(解説1)
道竅談 李涵虚(253)第二十九章 「採」と「煉」の妙用(解説1)
ここでは「採」と「煉」について触れている。これらは採薬、採丹であるとか、煉丹、煉気などと使われるが、要するに「採」も「煉」も自ずから起こることであるために「採らざるの採」であるとか「煉らざるの煉」といわれるわけである。精神分析ではリビドーなどと称されるような根源的な生命エネルギーとでもいうべきものを人は有しており、それが性的な衝動から知的な活動などへと「昇華」されるとしている。「採」や「煉」はいうならば「昇華」と同じで昇華の段階に入ることを「採」とし、それを実際の行動として深めることを「煉」としている。
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