道竅談 李涵虚(285)第三十三章 神と息との妙用(解説5)

 道竅談 李涵虚(285)第三十三章 神と息との妙用(解説5)

炉の中に火が発すると、陽光も輝く。この時に神はつまり気であり、気はつまりは神である。薬は火によって煉られ赤くなる」とあるが、「赤くなる」のでこの「薬」が「丹」とされる。「丹」には「あか」の意がある。これは光(陽光)が発している状態を示すもので、下丹田にそういった感覚が得られることもある。あるいは実際に赤い光が幻視されることもある。そこで「火は薬であり、薬は火である」の教えが重要となる。つまり「火」として幻視される赤い光にこだわる必要はないことをこれは教えている。「火は薬」だけであれば赤い火を幻視して薬が得られると誤解される恐れがあるので、あえて「薬は火」であるを付して「火」が必ずしも「薬」の発生に欠くことのできないものではないことを示している。

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