道竅談 李涵虚(288)第三十四章 神と息とを再び論ず(解説1)
道竅談 李涵虚(288)第三十四章 神と息とを再び論ず(解説1)
ここでは神と息との一体化が意識されることが無い、とある。意識されることなく一体であるのが真の一体化であり、これらを「ひとつにしよう」と意図したりするのは既に一体化からは外れているということになる。神と息とが一体化していることは「内的な熱」の発生によって知ることができることは既に述べたが、これは心身の活性化を意味するものでもある。こうした神と一体となった息を知るには動きを伴う練習をした方が良いであろう。陳微明も『太極拳答問』で静坐よりも太極拳の方が心身の調整を行いやすいと指摘している。
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