道竅談 李涵虚(290)第三十四章 神と息とを再び論ず(解説3)

 道竅談 李涵虚(290)第三十四章 神と息とを再び論ず(解説3)

ここでは「存神」という意識のあり方について、これが「虚」であるべきことを教えている。「虚」であるとは特段の意識をしない、ということである。神と息とが一体化するとか、集中うしようなどと意図することも意識することもないわけである。このように静坐ではできるだけ意図的な働きかけをしないようにする。ただまったく技巧を排してしまっては、心身の調整がうまく行かない。どの程度、技巧を使うか、使わないかの「さじ加減」が重要で、これが正確にできるまでは十年ほどはかかるとされている。静坐で最も大切とされる「火候」は風と火の「さじ加減」をいうものなのである。


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