道竅談 李涵虚(292)第三十四章 神と息とを再び論ず(解説5)
道竅談 李涵虚(292)第三十四章 神と息とを再び論ず(解説5)
「存神は虚でなければならない」とある「存神」には意識のあり方といったほどの意味がある。静坐において意識のあり方は「虚」つまり無為自然でなければならないということである。静坐では雑念を完全に排することはできないと教えている。そうであるから、いろいろな思いが生じてもそのままにしておけば良いと考える。『老子』(第十四章)には「濁」であったならば「静」で対する。ただ静かにしていれば自ずから「清」となる、と教えているのである。これは「濁」が無くなるわけではなく、「濁」は「濁」のあるべきところに落ち着き、「清」は「清」のあるべきところに納まるということである。煩悩とされるようなことも、ある意味では生きるために必要な心身の働きである。そうであるからこれらを徒に否定するのではなく、適切にコントロールできればそれで良いとする。
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