道竅談 李涵虚(300)第三十五章 気と息の妙用(解説6)
道竅談 李涵虚(300)第三十五章 気と息の妙用(解説6)
ここでは「呼吸」と「息」を区別しているが、呼吸法などで操作ができるのは「呼吸」であって「息」ではない。「息」とは先天の呼吸と後天の呼吸が一体となっている状態をいう。つまり「先天」とは意図的には操作をすることができない部分が「息」にはあるということである。「息」を「精」から調えようとするのが「呼吸」法である。一方「神」からアプローチをするのが宗教などで、人の生の根本には「苦」や「罪」があることにして、それから逃れる方法を説くのであり、そのことで「神」に静を得て感情である「息」を調えようとする。こうした方法は妄想を基盤とするものでいうならば迷信であるが、こうした方法を必要とする人も居る。迷信でも妄想でも個人の内面で完結している場合にはなんら問題ではない。
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