道竅談 李涵虚(279)第三十二章 心身について~調息法も含む~(解説5)
道竅談 李涵虚(279)第三十二章 心身について~調息法も含む~(解説5)
「心は絳宮(中丹田)に鎮まっている」とある。中国の仏像には胸に卍を記しているものがあるが、これが心の凝(安定)を示している。つまり中丹田に心が鎮まらなければ、上丹田の「神」は乱れて(雑)念を生むことになる。仏教では雑念というが静坐ではただ念とする。静坐では念が生じること自体は構わないとする。むしろ、それにとらわれなけれないことが重要であるとする。何事においても念(思い)に執着し過ぎないようにする習慣を得ようとするのが静坐である。歴史的に見れば世の中でこぞって「正しい」「常識」とされているものが最も危ない。こうした「常識への疑い」を静坐では養うことになる。
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