道竅談 李涵虚(310)第三十七章 神と意を再び論ず(解説3)

 道竅談 李涵虚(310)第三十七章 神と意を再び論ず(解説3)

後半では「無念」の重要性が教えられており、無念であるからこそ元神を養うことができるとする。元神は「先天の神」であり、本来の神の働きをいうものである。無念とは無為のことであり、無為とは自然であるということで、自然の運動に違うことなく行動することが無為であって、無為とは行動をしないことではない。そうであるから無念も何も考えないということではなく。自然のままに考えるべきことを考えるということになる。ここで「自然」とするのは、自由に考えて良いということである。自由に考えることで自らのつまり小宇宙の自然を開くことができるようになる。そうしていると自ずから大宇宙の自然ともひとつになれるのである。


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