道竅談 李涵虚(312)第三十七章 神と意を再び論ず(解説5)

 道竅談 李涵虚(312)第三十七章 神と意を再び論ず(解説5)

『有』をして『為』す」には真意によらなければならない。真意を働かせようとするのであれば無念でなければならない。無念であれば元神が開かれ、真意(有)による行動(為)をなすことができるようになる。真意による「有為」は、自然な行動であるからこれは「無為」と等しい。ただの意による有為は、自然の働きから外れているので、これは無為とはならない。多くの宗教では意による恣意的な行動を抑制するために寺院や修道院など特別な場所に隔離されることが必要であるとするが、そうしたことは必要ないであろう。いくら世俗と隔離されたところにあっても、真意が開かれていなければ適切な行動をとることはできないからである。

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