道竅談 李涵虚(313)第三十七章 神と意を再び論ず(解説6)
道竅談 李涵虚(313)第三十七章 神と意を再び論ず(解説6)
「烹煉沐浴」と「温養脱胎」は同じことでただ静坐をするのみである。「烹煉沐浴」は内的な火による心身の浄化をいうものであり、「温養脱胎」では内的な火を育て(温養)、心身の浄化を促す(脱胎)ことになる。よく瞑想をしていて体がこわばるということを聞くが、それは内的な火が消えているためである。むりをして長い時間、瞑想をすると内的な火が消えて、意識も散漫となり、体がこわばってくる。静坐の時間は長すぎても、短すぎてもよくない。短すぎれば適切に内的な火が燃えるまでに至らない。静坐では適切な内的な火が燃えている状態を「春の夜の温かな風に吹かれているよう」としている。
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