道竅談 李涵虚(317)第三十八章 「不朽」を争う(解説3)
道竅談 李涵虚(317)第三十八章 「不朽」を争う(解説3)
「不朽」であるものは「聖」であって、「朽」なるものは「凡」であるとする。崩壊へと向かうシステムは「凡」で、そうでないシステムこそが「聖」であるというわけである。ただ、この世において「不朽」なるものは存していない。崩壊へと向かうシステムが、時々に更新されたならばまた新たな崩壊へのプロセスが生じる。そうなると形としては「不朽」と見える。つまり「徳」は「不朽」であるといっても、それがどのようなことであるのかを具体的に老子は述べてはいない。そして「徳」は「善」であるとか、「水」のようであるとするのみなである。静坐の実践者は自分が「徳」であると思うことを「徳」として常に追究して行けば良い。そうすると「徳」の具体的な内容は変化をするが「徳」そのものは永遠に続くことになる。
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