道竅談 李涵虚(320)第三十八章 「不朽」を争う(解説6)
道竅談 李涵虚(320)第三十八章 「不朽」を争う(解説6)
「平坦の気」の「平坦」とは午前4時ころをいう。また「清夜」は清らかで静かな夜とされる。つまり「平坦の気」「清夜の神」とは夜が明ける前の静かな夜の「気=感覚」であり「神=意識」であることになる。そしてこうしたものは「まさに聖賢と違うところはない」と教えている。日が出るといろいろなものが動き出すが、4時あたりではまだそうした動きはない。動き出そうとして、いまだ動きが出てきていない。こうした「未発」の機を捉えることが重要なのである。意識が集中しようとして、それを強いて行うのではなく、次の思いが生じるままにする。また、いろいろな思いの波に流されるかと思っても、静寂な境地に思わず入ってしまうことがある。こうしたいろいろな変化の機を体験することが静坐では重要となる。
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