道竅談 李涵虚(321)第三十九章 功なり名をとげたら身を引くの論(本文)

 道竅談 李涵虚(321)第三十九章 功なり名をとげたら身を引くの論(本文)

『老子』(第九章)には「功なり名をとげたならば身を退くのが天の道である」とある。愚かな人が、天の道であると考えるのは、往々にして人の道であるに過ぎない。これは修身の道である。天には生成の働きがあるので、天の道にあれば名をとげることができる。物であればそれを育てることができる。しかし、最後には天の道にあれば身を退くものである。冬が巡って来るように身を隠すのである。これが天の道である。人が忠を尽くしたならば功名をあげることができるであろう。功がなったならば勇退をする。名をとげたら身を隠す。これは英雄が赤松子と遊ぶところのものである。あるいは孝を尽くすことでも名をあげることができよう。志をもって人と交わり、それを育てれば、一族の中で名を知られるようになるであろう。父母は百年にして、子として務めが終わる。そうなると退いて自らの命を養うべきである。これが人の道である。丹士は「致虚守静」をして無功の功をなす。「杳冥恍惚」として無名の名をなすのである。返還の功がなれば、聖胎の名をとげることになり、祖竅に身を退けることになる。「抱一還虚」は修丹の道である。徳に通じ情を律する。これを知る者はよく行うべきである。


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