道竅談 李涵虚(305)第三十六章 神と意の妙用(解説5)
道竅談 李涵虚(305)第三十六章 神と意の妙用(解説5)
静にあっては「神」が「運」を司るとする。「運」とは周天のことであるが、後天の周天であっても、そこに「静」が無ければ陽気の集中を得ることができない。ただ本来の「静」はこれを得ようとするのではなく、ただ静坐をしていれば自ずから生じてくるものでなければならない。静かに座っているのであるから、心も自ずから静かになって来る。これを意図的なことをして静を得ようとしても、一定のレベル以上に深いところには入って行けない。そうした「壁」を破るには意図的なことを捨てなければならない。そうした迂路をとるのであるならはじめから意図的なことをしない無為であるべきと静坐では教える。
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