道竅談 李涵虚(322)第三十九章 功なり名をとげたら身れたを引くの論(解説2)
道竅談 李涵虚(322)第三十九章 功なり名をとげたら身れたを引くの論(解説2)
『老子』の第十六章には「王とは天であり、天とは道である」とする。つまり「道」の実践者の第一として「王」があるというわけである。中国では王となる人は天命を受けていると考える。しかし統治がうまく行かなくなると、それは天命を失ったからとみなす。そうなると天命を受けた人物と王は交代することになる。こうした王はその位に執着することはない。ただ、そうした王が実際に居たかというとそうではない。伝説の時代を覗いて王の交代は革命によらなければならなかった。あらゆる社会矛盾を解消し得た王はいないのであるから実在した王が本当に天命を得たいたのかは判断できない。あるいは天命思想はその時代の王を正当化する、あるいは革命を死闘化するためのものとも考えられる。
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