道竅談 李涵虚(322)第三十九章 功なり名をとげたら身を引くの論(解説6)
道竅談 李涵虚(322)第三十九章 功なり名をとげたら身を引くの論(解説6)
「致虚守静」は「虚を致して、静を守る」で、「虚」の境地であるならば「静」で居ることができることを教えている。これを逆にいえば「静」であれば「虚」で居られるということでもある。「杳冥恍惚」の「杳冥」は奥深く暗いようすで、「恍惚」はほのかで見定め難いとする意味がある。これはとらわれの無い意識状態をいうものである。こうした境地が得られれば「徳に通じ情を律する」ことが可能となる。「徳」とはあるべき行動を適切にとることができることをいう。そうなれば邪な欲望(情)もそれを制御することができるわけである。「杳冥恍惚」とは老子が「淵」として例えた瞑想の境地でもある。老子は第四章でこうした境地にあれば「鋭」を挫いて、「紛(みだれ)」を解くことができるとする。「功」や「名」を求めたり(鋭)、執着したり(紛)する意識状態から脱することができると教えているわけである。
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