道竅談 李涵虚(306)第三十六章 神と意の妙用(解説6)

 道竅談 李涵虚(306)第三十六章 神と意の妙用(解説6)

神」が「丹」となるのは、「神」が「ゆったりとして正しくあり、あるべき理を乱すことがない」状態にあるからである。「丹」は変容を象徴している。そうであるから「神」が丹となるとは、意識が変容するということである。つまり後天の神(神)から先天の神(元神)が開かれるわけである。「神」と「元神」は同じで「神」の中に「元神」が含まれるとイメージされようか。「元神」は清浄な心の状態であるが、「神」には欲望や知識などいろいろな刷り込みが行われていて、こうしたことが誤った「意」の働きを促してしまう。「神」が変容して「元神」を知ることができれば、「神」が「丹」となったとすることができる。

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