道竅談 李涵虚(308)第三十七章 神と意を再び論ず(解説1)

 道竅談 李涵虚(308)第三十七章 神と意を再び論ず(解説1)

「元神=神=意」であり、これらは本来はひとつのものである。しかし後天の神はいろいろな知識や慣習に影響されて先天の神である元神とは違った働きをするようになった。そうした動きに導かれた意もまた自然とは異なる働きをするようになる。意はそれを制御しようとしてもできるものではない。そこで神の働きを止めることで、意の勝手な動きを止めようとするのが無念無想の境地に入ることである。無念無想で、神が休眠状態に入れば意が邪な働きをすることもなくなる。それは意のすべての働きが無くなるからでもある。しかし静坐では人は完全に無念無想に入ることはできないとする。たとえ瞑想をして一時的に無念無想になったとしても、日常生活ではそれを保つことはできない。神が働かなければ、立つこともできないからである。


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