三車秘旨(15)第二の河車
三車秘旨(15)第二の河車
(本文)
運精においては「坎鉛をして離汞を制する」のでありお、これは「己の性を練る」ものでもある。先の運気をすること久しくして小薬を得たならば、丹を結ぶ端緒を得たことになる。そうしたならば綿綿たる内息をして、天然自在にして丹田を固守する。毎早朝に清坐あるいは清臥していると丹田は一団の柔らかな綿のようになる。それを心府に上らせて虚の中へと戻す。
(解説)
戴二の運精においては「性」を練るとする。これは「練己」のことでもある。運気をして内面を見つめることに慣れたならば、本当の意味での静坐に入ることが可能となる。「小薬」とは始めの小さな変化のことで、これは内面を見つめることをいう。つまり意識のエネルギーが外へから内へと変化したことを「小薬」を得たとするわけである。下丹田へのある種の集中状態もそのままにしておくと解けてしまう。これをあえて解けないように瞑想ではするのであるが、それは必要のないことであって、ここにもあるように胸の辺り(心府)に意識が移動しても構わない。こうした特定の集中にこだわらないことを「虚の中へと戻す」としている。
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