三車秘旨(17)第二の河車

 三車秘旨(17)第二の河車

(本文)

(下丹田で発した流れは)両股の内側あたりから流れて、湧泉へと行くが、この時には神をして両踵に注がなければならない。真息がそれに従って生じる。これが「真人は踵で息をする」ということなのである。こうすることしばらくして湧泉は静を得たなら、心をして尾閭へと返し、黙々とこれを守る。

(解説)

下丹田に発生した「陽気」を湧泉まで意識(神)で導き、再び尾閭へと返すとある。湧泉に「陽気」を誘導すれば真息が開かれるというのは、『荘子』に真人は踵をもって息をする、とあるためである。古代には湧泉のような言葉がなかったので、『荘子』では「踵」としている。ただ真息は必ずしも湧泉に意識をもって「陽気」を運ぶことで開かれるとは限らない。湧泉を開くには坐るより立つ方がやりやすい。そうしたことからすれば仏教の坐禅が入る以前は立って粉う瞑想が中国では主であったのかもしれない。


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