三車秘旨(18)第二の河車

 三車秘旨(18)第二の河車

(本文)

そうするとたちまちに尾閭のところに「物」があるのを覚えるようになる。それはモフモフとした綿のようでもあるし、饅頭のようでもあり、気の塊とすることもできよう。これがなかなかまとまらなければ、内息によって(尾閭に)留めて調えなければならない。心をひとつにして、盛んに活性化を図って、休むことなく煉る。そうすれば一筋の熱湯が尾閭に出現する。それを徐々に尾てい骨のあたりに導いて、滔々と流し泥丸へとあげる。これがまさに「黄河が逆流する(黄河倒捲)」「谷川を遡る(漕渓逆運)」といわれるものである。

(解説)

ここで重要なことは湧泉と下丹田の関係であろう。湧泉を開くには坐るよりも立つ方が好ましい。立つ瞑想(立禅)は坐る瞑想(坐禅)が一定程度できてから行うと良い。それをここでは述べているわけである。『荘子』にある真人は踵で呼吸をするというのも、立って行う瞑想があったためではないかとは前回に触れたが、「踵」云々は「湧泉」のことで、これは後に述べられる「華池」と関係している。


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