三車秘旨(23)第三の河車

 三車秘旨(23)第三の河車

(本文)

内丹は空洞の中に蔵されている。上辺は乾のようで、下辺は坤のようである。性辺は有に属しており、命辺は無に属している。先に有をして無に入れる。その後に無から有を生む。その象は乾精を坤母に播いているようである。坤とは実腹で坎とする。坤精は乾父に感じる。乾は虚心であり離となる。乾坤が既に並んでいれば、これを鼎器と名付ける(つまり有無の妙竅である)。

(解説)

内丹が得られるようになるには「虚」を実感する必要がある。「虚」を実感したら「煉己」がなったとする。こうした「虚」への悟りの境地は神仙道の最後の「還虚」にも存している。そうであるから「煉己」は静坐の入門であり卒業のレベルであるとすることもできる。内丹には乾と坤が上下にあるとするが、これは乾=天で坤=地であるためで、内丹には天地そのままの姿が示されていることになる。静坐で重要なことは「虚」を実感してそれが、いわゆる「虚無的」にはならないことで、これはさらなる活力を生むのである。こうした一見して相矛盾した如くの境地を特に「内丹」と称する。


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