三車秘旨(25)第三の河車

 三車秘旨(25)第三の河車

(本文)

これを譬えるなら坤陰の下に一陽が来復したとすることができよう。乾宮の一陰を吐いて、それにより坤陰を迎えるわけである(腎気が上昇して、心液が下降する。本来自然なことである)。これを「汞をもって鉛を迎える(以汞迎鉛)」と名付ける。また「大いなる坎離の交わり(大坎離交)」という。あるいは「内外陰陽の消息(内外陰陽消息)」とも称する。「消息(様相のこと)」は既に通じてるわけである。

(解説)

坤陰とは「腎」のことでこれは坎卦(陰陽陰)である。この一陽が開かれて「心」の離卦(陽陰陽)へと至る。そうなると「心」の一陰が開いて「腎」へと入る。そうなると「腎」は坤(陰陰陰)となるのでここでは「坤陰」とする名称が用いられている。そうなると「心」は乾=天となり、「腎」は坤=地となって天地が開かれることになる。「心」は思いを表し、「腎」は行動を現す。つまり思いと行動が一致するわけである。人の根源は「善」であるからあらゆる行為や思いは「善」なるものとなる。これらは「徳」のある行為とすることができるし、「道」に則ったものと見なすこともできよう。まさに「老子=道徳経』の教えるのはこうした境地なのである。


コメント

このブログの人気の投稿

静坐雑話「道徳武芸研究」ブログ統合に向けて(5)

三車秘旨(93)道情詩詞

静坐雑話「道徳武芸研究」ブログ統合に向けて(4)