三車秘旨(27)第三の河車

 三車秘旨(27)第三の河車

(本文)

丹士はこの「首経」を採るが、これを「情を摂(と)って性に帰す(摂情帰性)」という。五千四十八日にして黄道に帰る時、十五夜の月のような明るさがある。金水は円満で、人体にあっては先天の精と気の統一された非常に活発で盛んな時である。修行者がここに至ったならば、急いで大河車を起こして、泥丸へと運び上げなければならない。

(解説)

「情を摂(と)って性に帰す」とは、欲望に満ちた感情(情)の働きを、本来のあるべき感情(性)の働きに戻そうとするものである。「黄道」とは黄道吉日のことで、十数年の長きにわたって静坐をしていると来るべきその日を迎えることができる。この時、心身にはおおいなる融合、和合が感じられる。こうした融合、和合の「神秘体験」はいろいろな場面での神秘体験では普遍的に見ることができる。これを得たならば更に静坐を続けて、そのれを日常化する必要がある。「金水」は五行説で「金は水を生む(金生水)」のことで、これは「土は金を生む」が前提になる。「土」は先天の精と気の融合が始まった状態で、それが「金=肺=呼吸」の変化を促し、「水=腎」の充実をもたらすのである。


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