三車秘旨(8)第一の河車

 三車秘旨(8)第一の河車

(本文)

運気の修行は、開関築基をして、得薬、結丹をするものである。その次第をいうならば虚空の中に真息を涵養することを始めとする。収心や調息、閉目や存神は静のまた静なるものでなければならない。清のまた清なるものでなければならない。一切を放下して、全てを忘れる。混混沌沌として、杳杳冥冥となる。修練がこうした境地に至れば、天に冬の時が至るようなものとなる。万物は芸芸(うんうん)として、それそれがそれぞれの根に返るのである。

(解説)

「杳杳冥冥」は「玄」と同じで深夜の闇のような静かさのことで、しかしそこには何か霊的なものが身近に存在しているような靜の中に動を含んだ特異な静坐の感覚をいうものである。こうした静の状態は季節であれば冬に例えられるし、一日であれば深夜ということになる。この時、あらゆるものの活動が止まっているようではあるが、その奥では「芸芸」として盛んに活動がなされている。「冬」は「増ゆ」であるとされる。芽生えの季節である春に向けて活発な生命の活動を準備している期間と考えるのである。


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