三車秘旨(31)収心法への手引

 三車秘旨(31)収心法への手引

(本文)

養生の道は真息を本とする。曹文逸は「私は多くの人の言うことは間違っていないと思う。命の源は古くから真息にあるとされて来た。」と述べている。これを知るべきであろう。初めの修行は先ずは「静心」を行う。次は「緘口(口を閉じて鼻で息をすること)である。その次は「調息」である〈心が静かであれば、気も落ち着く。あえて調えようとしないで調うようになるのが良い〉。途切れることなく和らかに鼻から息をして、それから目を閉じて体の中を見つめ、腎の下の陰キョウの一脈に意識を向ける(これは肛門の前で陰嚢の後ろである)。意識(神)をそこに留めていると自然とそこが中心となる。

(解説)

ここでは「腎の下の陰キョウの一脈」に意識を集中させる方法が述べられている。これは会陰と称されるところでもある。「陰キョウ(足に喬)」とは得脈と任脈とが交わるところとされている。


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