三車秘旨(32)収心法への手引
三車秘旨(32)収心法への手引
(本文)
そうなれば心は大いに活性化されるが、努めて自然のままでなければならない。これを「文火」という。心が統一を失って活力がなくなっても、自然のままにしておく。これが「武火」である。文と武の火をして、鍛錬することで初めて妙用というものが現れて来る。内的な息は等しく、これを忘れることもないし、特に意識することもない。こうした時にこそ心は虚空となる。確かに呼吸は続いており、決して虚となってしまっているのではない。連綿とした呼吸は空ではない。虚でも空でもないその間、静にして静、清くして清らかとなり、気息は綿綿として、心神は黙黙(虚の状態)となる。
(解説)
会陰への集中において文火と武火の二つの状態が現れることがあると教えている。文火は心が活性化された状態であるが、武火は心が乱れている状態である。どちらであっても気にしないでそのまま自然にしておれば良い。何事においても一喜一憂しないことである。そうしていろいろな体験を重ねる内に、とらわれの少ない「虚」や「空」の境地に入ることができるようになる。
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