三車秘旨(35)収心法への手引

 三車秘旨(35)収心法への手引

(本文)

心は臍下に留める。これを「凝神」という。気は臍下へと収まる。これを「調息」という。神と息とが共に協調して、その清浄、自然であることを守っている。これを「忘れないこと(勿忘)」という。また清浄自然のままにしておくことを「助けない(勿助)」という。「忘れない(勿忘)」「助けない(勿助)」とは「黙(虚の境地)」であり「柔」でもある。この時に息は活発で心は自在の境地にある。ここで「鑽(あつまる)」字訣が用いられる。つまり虚空とは心の存しているところであり、そうであるから「昏黙(玄なる境地。虚空)」が息と神との故郷ということになる。これを煉ること三回、それを二回繰り返す。そうして澄ましてまた澄ませる。こうなるとこつ然として、心も息も共に忘れてしまう。神と気は融合して、覚えず恍然となって陽が生まれる。

(解説)

ここでは集中の部位として「臍下」が記されている。日本では「臍下」は一般的に臍の下の気海という経穴とする。神仙道では臍の奥の体の中心あたりとする。この「集中」は「忘れる」こともないが、「助ける」こともない。集中しないというのではないが、殊更に集中しようとするのでもない。そういった「集中」状態を凝神という。これに習熟して行くと「昏然」つまり「玄」への悟りの境地が得られる。ただこうした「昏然」の境地を得ても始めの内は、次に静坐をする時にはそうした境地が得られないことも多い。そこで「昏然」の体験を三回くらい繰り返す。そうするとやや深い「昏然〉体験が得られる。それもまた三回くらい繰り返すと安定した「混然」への悟りが得られるようになる。もちろん回数はそれ位という程の意味しかない。


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