三車秘旨(38)収心法を問う

 三車秘旨(38)収心法を問う

(本文)

およそ修行をして、杳冥たる境地に入ろうとするのはひとつの難事である。ただ先天の一気が自ずから虚無の中からやって来るならば、必ず真の杳冥が得られる。つまり真の虚無が得られるわけである。ああなんとしたことか。先に難を経ればこそ後に成就することができるのである。それには自らの全てを捨てなければならない。昔、私は(修行に適した場所である)洞天にあって杳冥を得ることを求めていた。七、八年を経て、ややその入り口を見たように思った。今これを学ばんとする者は、よく修行をして焦ることのないようにしなければならない。そうでなければどうして道を得ることができるであろうか」


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