三車秘旨(39)収心法を問う

 三車秘旨(39)収心法を問う

(本文)

門人が質問した。

「先生が法を伝えられるのを人は余りに公開し過ぎであると言います。もし準備ができていない者がこれを受けても、何らの効果を得ることもできないでしょう。こうした批判にどう答えられますか」

涵虚が答える。

「よく物事を知らない者の誹りを受けることがなければ、どうして我が道が大いなる道であるとするに足りようか。大いなる道(大道)を修するには先ずは清浄な身心でなければならない。神と気を調えるのであるが、最終的には一切を放下しなければならない。杳冥を得ようとするのであれば、必ずこれらの成就を得なければならない。そうした後に本当の杳冥を得ることが可能となる。もし杳冥が得られていないのに、得られたものと妄想する者は、最終的に何ら得るものもないことであろう。批判を受けることがどうしてこれを悪しきこととする必要があろうか」


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