三車秘旨(40)収心法を問う

 三車秘旨(40)収心法を問う

(本文)

門人が質問した。

「先生は、悪人でも道を学ぶことは可能とお考えですか」

涵虚が答える。

「『即誦格語』には『そのうちやれば良いであろうと思っている事柄も、もし明日死んだらどうするのか(やり遂げられはしない)。またまだやらなくて良いと思った事柄も今日やらなければならなくなることもある』とある。つまり悪はなすべきではない。どうあっても善を行うべきであり(諸悪莫作、衆善奉行)、地獄を転じて天国となさなければならないのである。黒気を変じて紅光となすのである。この他に三字訣がある。修行者は『勤』『誠』『恒』の一字をも欠くことがあってはならない。『勤』であり『誠』であれば、結果として必ず『恒』であることができる。孔子も『人において恒が無いならば、巫術を用いての医療もかなうことがないであろう』(『孟子』)と述べておられる。巫術であってもそうなのであるから道の修行において『恒』がなければならないことは言うまでもあるまい。儒学を学ぶ者は文芸の修行を積み、数年にて一定の成果を得る。あるいは十数年も修行をしなければならないとも言われているが、そうであるなら(文芸を学ぶより)修心、煉気をした方が良いであろう。


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