三車秘旨(41)収心法を問う

 三車秘旨(41)収心法を問う

(本文)

『誠』とはつまり陰のシンボルである。易であれば太極である。仏教では(互いに関係している)如如である。孟子は『至誠であって不動である者はいまだない。不誠であってよく動かす者はない』と述べている。動と静で言うならば、つまり誠は陰のシンボルであることを知ることであり、孔子の門では、至誠を深めて神の如くとする。至誠を論じて止むことがない。全ては静の中の大体、大用なのである。そうであるから『誠』をして静に入るのである。静心が乱れなければ、『誠』をして定に入ることができる。心を定めて移ろうことがなくなる。『誠』をして中を守れば、中の心は偏ることがない。『誠』をして杳冥に入ることができ、少しでも誠に通じることができれば障害はなくなるものである。


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