三車秘旨(42)収心法を問う

 三車秘旨(42)収心法を問う

(本文)

『勤』は学びの本質である。それは道そのものでもある。また不『勤』の『勤』というものがあり、それが自然の息を養い、自然の心を定める。無為であって為すのであり、為しては為さないところがない。これが『綿綿として存するがごとし』とされることである。それを用いて『勤』めないのが、真の『勤』の至りなのである。

魔を煉るには必ず『勤』字が用いられなければならない。ひたすらに坐って、かえって精神がおかしくなるのは、『勤』を誤って過度に用いているからである。よく睡を煉る者は、睡(ねむ)っても睡らず、かつまた睡るのである。修練を不断に重ねると神や気は自然に盛んとなる。『睡』を煉っていて夜になると、かえって睡魔に囚われたようになる。『周易参同契』では『寝床でも常に抱いて、生死と共にある』としている。よくこの秘訣を用いたならば、悟りを得ることができるであろう」


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