三車秘旨(44)収心法を問う

 三車秘旨(44)収心法を問う

(本文)

交わりの法においては、先天と後天の違いがある。先天の交わりにおいては『性』をして『命』を立てる。後天の交わりにおいては『神』をして『気』と合わせる。そうであるから『入薬鏡』には『つまり性命はまさに神気ではない。水郷の鉛はただ一味で、先天を『目』という。この一物だけが存している。後天の『目』はつまり精、神、意、気、魂、魄、性、情に分かれる』とある。先天においてはただ一つのものを煉り出すだけなのであり、すべてにおいて了(さとり)へと通じている。つまりは交わりの中から真陽を取り出すだけなのである。

(解説)

ここでは先天の交わりについては「水郷の鉛はただ一味で」とあるように腎の一陽(真陽)を開くことにあるとして、これが「杳冥」を悟ることにつながると教えている。また後天の神と気が交わることでは子供が生まれる。先天の性と命が交わることで陽神が生まれる。生成の働きは先天においても後天においても見られるのであるが、結果は同じではない。後天はあくまで後天に留まっており、先天への道が開かれることはないのである。


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